日時:2022年6月9日(木)9:30~12:20<晴れ>参加人数:19名
コース:JR酒々井駅→麻賀多神社→肥前坂→本佐倉城跡案内所・トイレ→内郭・奥の山・妙見神社(一次解散)→JR酒々井駅
担当:小澤・荘子・豊島・晝間・三原・渡辺(幸)・水野[文責]
集合時には、糠雨が降り肌寒くもあったが、降りやむとの天気予報を信じて出発することにした。駅には本佐倉城跡への地図も備えられていて、町は力を入れているなと感じた。
成田旧道の路肩にあるアカメガシワには花の芽が付き、道の奥にある林の木に絡みついたテイカカズラは花を今は盛りと咲かせていた。フジはマメ科だというように長い鞘をぶら下げ、コバギボウシ、ラベンダー、ネズミモチ、マサキなどが蕾をつけ、
初夏の雰囲気を漂わせていた。ところで、テイカカズラやアオツヅラフジは草本ではなく、木本にあたるとのことで勉強になった。坂の中ほどではヤブニンジンが線香花火のような実を付け、ミズヒキが花の芽を伸ばそうとしていた。
この辺りで雨が止んだので、この分だと虫も姿を現わすと思った。オオヨシキリがギョギョシ、ギョギョシと大声で鳴き騒いでいた。田圃にはイネが青々と育っていたが、田圃によっては、イネよりもオモダカの方が多く、勢いも良く見える田があった。この田圃は今後の手入れが大変だろうなと思った。
本佐倉城跡の内郭に向かう道脇には、実生のタラの木がたくさん生えていた。また、ひらひらと飛ぶウメエダシャク、金色に輝くイノコヅチカメノコハムシ、確かにホタルだと思えるムネクリイロボタルなどを見ていたら、マルウンカを捕まえたとのこと。珍しいものだとのことで、私も初めて名前を聞いた。見たところウンカらしくなくてテントウムシのようだった。でもやっぱり翅が柔らかそうで、ウンカだなと納得した。
さらに進むと、綿毛を飛ばすニガナや実生のハリギリがあり、これから成長しようとするシンミズヒキやベニバナボロギクもあった。内郭は一面がブタナの黄色い花だらけだった。奥の山に向かうと道筋にフタリシズカやナガバハエドクソウが蕾をつけていた。奥の山に着いたら2頭のジャコウアゲハが飛んでいた。近くにウマノスズクサがあるに違いないと探したら、齧られた葉をつけたものがあった。裏側には予想通り黒の地肌に白線の入った幼虫が数匹ついていた。
ここには光にかざすと美しいセアカヒラタゴミムシもいた。城跡を下り切った妙見神社で、他の方面を回る方もいるか?とのことで一次解散となった。ただ大部分の方が残り、駅の方へ向かうことになった。途中、ホタルブクロが咲き誇っていて、ヤマホタルブクロも一緒にあるとのことだったので、2種の違いを比較することができた。
また、帰りの旧道では、行きには気づかなかったミチバタナデシコを見つけた。行きと帰りでは目線が違うのだなということにも気付いた観察会だった。
当日配付資料「酒々井の歴史」
酒々井町は、明治22年の町村制施行以来、長きにわたり、合併をせずに独立独歩の道を歩み続けてお り“日本で一番古い歴史のある町”。人口は現在約2万1千人。 旧石器時代の石器が発見されており、今から少なくとも2万4千年以前から人が住んでいた。1400 年代後半から戦国時代にかけて下総の豪族・千葉氏の城下町として栄え、江戸時代には喜府に献上する 馬を育てる牧場や成田山詣での宿泊客でにぎわう宿場町だった。 本佐倉城は文明年間(1469年~1486年)に、千葉輔胤によって築城された。以後百有余年にわたる戦 国時代を通じ下総の中心となり、千葉家の当主9代が城主として下総を治めていた。 天正18年(1590年)、豊臣秀吉により千葉氏は滅亡し、本佐倉城は明け渡された。現在でも当時のまま// の土塁や空堀などが残されている。平成10年9月に国の史跡に指定された。